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2024年9月 1日 (日)

台風10号の恐ろしさから改めて心に誓う

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 台風10号は衰えを見せてきましたが、その猛威は驚くほどでした。中心気圧が935hPaまで発達し、瞬間風速70㍍、台風の動きは遅く、広範囲に記録的な大雨を降らせながら土砂災害や河川の氾濫など被害を各地に巻き起こしています。私は、想定外を超える”スーパー台風”に直面し、恐怖感を感じています。離れて暮らす子や孫を心配すると同時に、台風の進路上に生活している方々の様子をTVで観ていると、今後もこのような異常気象が襲ってくるのではないかと不安になっています。

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 少しでもこの不安を無くしたいと思い始めたのが足尾の荒廃地での森づくりです。台風10号の猛威から息子や孫たちの社会を考えると、気候危機に向かっていく「社会運動」を創りださなければならないと思いました。

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 今から130年程前の足尾松木沢は、豊かな森の恵みに支えられて松木村の村人は生活していました。ところが傲慢な人間の経済活動が山を荒らし、川を荒らし、村人の生活を奪いました。その村人と渡良瀬川流域の農民を鉱毒から守るために闘ったのが田中正造ですが、「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」ということを改めて振り返りました。そこから気づいたことは、“山を荒らさず・・・”の背後にある彼の考え方には、“人は森に生かされている!人は森に寄り添っていかなければ生きていけない!森は大切な友だち!”ということがあったのではないかということでした。さらには、官憲に弾圧され続けながらも農民たちと闘ってきた運動の大切さと、そのリーダーの志と情熱を現代社会の社会運動に活かしていくことではないかと思いました。

 農民と田中正造の闘いは、政府や議会の「治水論へのすりかえ」や官憲の弾圧で追い込まれてしまったので、広く社会の人々に訴えることを決意した田中正造は命を賭して明治天皇に直訴(1901年12月10日)しました。

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 かつての松木村民や渡良瀬川流域農民の思いに寄り添いながら、足尾のふるさとの木を植えて来年で20年を迎えます。多くのボランティアの皆さんと共に約8万本の木を植えて、小さな森が育っています。いま私たちがやらなければならないことは、台風10号からの警告をうけて、「いのちの母体である地球(森)を破壊する自由はない」、「森は大切な友だち」、「森に寄り添って生きていくためにはエコシステムのサイクルを健全に戻す」という立場を鮮明にした社会運動の実現ではないかと思います。

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(運営委委員:大野昭彦)

2024年8月15日 (木)

若者たちの気候危機への集団訴訟を共にたたかう!

 「火力発電で温暖化が進行した。安定した気候のもとで生活する権利の侵害だ」として、若者16名が発電10社を名古屋地裁に提訴しました(8/6・『毎日新聞』)。

 このまま地球温暖化が進めばこの地球上で生活していく若者ほど、その不安はますます増えていくことは誰もが感じ取っていると思います。私ものその一人です。こうした生活を脅かす異常気象を招いたのは大人たちの経済活動の結果であり、その責任の一旦を感じている私です。

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 なんとか温暖化にブレーキを掛けたいと足尾の森づくりを応援してきた私ですが、6月の通常総会で運営委員に就きました。この若者たちのチャレンジは私の新たな活動エリアを示してくれました。現役時代(2001年~2006年)に私は、カブールでの紛争で夫を亡くした寡婦の自立支援、井戸(カレーズ)を掘る等の支援、食糧支援(果樹の苗木配布)事業を担った経験があります。現地で育てたりんご苗を購入し、干ばつと食糧難で苦しむアフガニスタンの村人に井戸掘り道具を貸出し、水源を確保した地域へリンゴ苗木を植えてきました。

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 井戸掘りから用水確保によってなんとか小麦は収穫できましたが、リンゴ苗木の生長をつくりだすことは出来ませんでした。今でもその悔しさは忘れられませんので、その事を足尾の森の手入れで活かしていきたいと思っています。

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 アフガニスタンでの様々な経験と知識を足尾現地の自然界の息吹きを五感で紡いでいきたいと思っています。その心は、故・中村哲さんが活動していた平和への志と情熱です。“自然環境と人とのつながり”という生存の原点から人間活動を問い直し、発電10社を提訴した若者たちとの出会いを求めていきたいと思っています。

運営委員:田城郁

2024年8月 1日 (木)

原発再稼働にノー!地域から複合災害への備えを考えよう!

 7月24日以降、秋田県・山形県に降り続いた記録的な大雨は河川の氾濫や土砂崩れが発生し、テレビに映し出される映像は現実のものかと目を覆うような状況でした。浸水にとどまらず集落が水没。土砂崩れによって工事現場の作業員が行方不明となり、住民からの救助要請で現場に向かった20代の若き警察官がパトカーごと流されて尊い命を落とされてしまいました。増水した川に流されて亡くなられた方もおり、ご冥福をお祈りするばかりです。

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 海水温上昇の影響を受けた梅雨前線は、避難する・救援に向かう道路を水没させ、また、道路を削りとり、逃げることも救助もままならない状況を生み出しました。自然の猛威に対して、人間の力であらがうことは出来ず、過ぎ去るのを待つことしかできないことを改めて実感させられます。個人の「備え」から、地域に住む人々の命を守るための「備え」を考えなければなりません。

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 4月6日「原発回帰と気候危機に向き合う生活を考える意見交換会」で議論された心配が目の前に現れています。問題提起をされた科学ジャーナリストの倉澤治雄さんは、「原発事故は複合災害」と話されていましたが、地震ばかりでなく豪雨も重なった状況下では住宅内避難も、指定された避難所への移動も出来ないことが明らかとなりました。

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 7月26日、原発再稼働を求めていた日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)が原子力規制委員会の調査によって東電福島第1原発事故後に出来た新規制基準に適合していないと判断されました。1990年代から敷地内に活断層の存在が指摘されており、専門家は「原発の立地場所としては、何重にも不適切だ」と批判をしました。

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 1月1日に発生した石川県能登半島地震では海底が4m隆起し、陸地は2mの隆起と亀裂が走りました。約8万4千戸の家屋が被災し、7か月が経過した今も復興が進まず、2万人近くが避難生活を余儀なくされています。避難生活などが原因で亡くなった災害関連死の方を含め死者が339人(7月30日時点)に上る見通しになりました。

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 規制委員会の原発審査では初の「不合格」という決着が見えてきましたが、原電はなおも「再稼働」を求めているようです。さらに、政府は原発の新増設の建設費を電気料金に上乗せできるようにする支援制度を検討していることが明らかになりました。

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 ユーラシアプレート、北米プレート、フィリピン海プレート、太平洋プレートの上に乗る日本列島は世界最大の地震の巣です。その不安定な日本列島に原発を建設することは国民の命をないがしろにする行為以外の何物でもありません。原発再稼働・新増設にノー!です。

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目先の経済的利益より、将来世代にわたって命と暮らしが守られる判断を求めたい。

(運営委員:清水卓)

2024年7月15日 (月)

天気予報と気候変動との関連づけ発信が目指される

 世界の平均気温が13ヵ月連続で過去最高を記録し、12ヵ月連続で産業革命前との比で1.5度以上を記録しました。ここ数日暑さはおさまっているものの、日本ではこの季節には災害級の暑さやゲリラ豪雨が襲っています。気温が1度上昇すると、大気中の水分が7%増えると言われており、このまま気候変動への対策をとらなければ、もっとひどい豪雨が発生することになります。世界を見ても熱波や山火事が起き、地球が沸騰している異常事態です。しかし、報道を見る限り、気候変動についてほとんど触れておらず、なぜ報道が少ないのか、それは意図的なのかを掘り下げて考えていかなければなりません。

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 そのような中、6月初旬に気象予報士や気象キャスターら44名が「日常的な気象と気候変動を関連づけた発信を加速化させよう」と声明を発表しました。声明を出すにあたり、130名からのアンケートでは、危機感は感じているものの「伝えたいのに伝えられない」「放送時間が足りない」「自分の知見が追いついていない」「メディア内の理解や協力が得られない」などの消極的な要因があるようです。

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 上記の声明にコメントを出している東京大学未来ビジョン研究センターの江守正多教授は、岩波書店『世界』8月号でも「立ち上がれ!日本の気候メディア」とエールを送っています。科学者と気象予報士や気象キャスターらが同じベクトルを向き始めました。勇気をもらった一人として何かできないか模索していきます。なお、本は読みやすい文章になっていますので、時間がありましたらお読み下さい。


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(運営委員・小林敬)

2024年7月 1日 (月)

最近の若い人は環境活動に敏感

 25年春に卒業を迎える大学生の多くは既に就職先を決めているらしい。最近の就職活動は私が学生だった45年前とは、当然大きく変わっている。

Photo そうした中、先日テレビを見ていたら、日本のZ世代の就職活動をサポートするエシカル就活サイトというのが話題になっていた。「エシカル就活」とは「企業の規模や知名度、給与ではなく、環境問題や社会問題への取り組み、自分と企業の価値観がどれだけ合致するかなどを重視した企業選びのスタイルを指す造語」だという。

 同じころ日経新聞のFINACIL TIMES翻訳記事に「気候退職」という言葉を見つけた。大企業に勤める若手会社員が勤務先の環境、特に地球温暖化対策への取組活動に不満を持ち退職することをいうらしい。また、コンサル会社の調査によれば北米や西欧では就職先を選ぶ際に、70%以上の若者が企業による環境問題への取組を重視しているとのこと。さらにこうした動きは北米や西欧よりもタイやシンガポール、マレーシア、インドネシアなど東南アジアの方が強いらしい。記事によれば企業は気候変動対策に真剣に取り組まないと若い人を採用し、つなぎ留めておくことが今後は困難になるという。

 こうした動きをみると、今は混乱し将来を悲観してしまう世界の状況だが、若い世代によって少しずつ良い方向に進むのかもしれないと、小さい希望を持つことができる。

 季節外れですが、冒頭の写真は、長野に住んでいたとき、近所の宅地造成地で見つけたチューリップ。題して「荒地に咲く希望の花」(ベタだね)。

(運営委員・井上康)

2024年6月18日 (火)

気候変動対策への国連事務総長の熱意に応えたい

20240618足尾・松木郷に踏ん張るヤシャブシ

「化石燃料業界の多くはロビー活動や法的な脅し、大量の広告キャンペーンで気候変動対策を遅らせようとする一方で、恥知らずにもグリーンウオッシュ(環境に配慮していると見せかける)を行ってきた」と強烈に業界の広告戦略を批判しているのは国連事務総長(6/17『毎日新聞』)。この記事を読んで、気候変動対策を訴え続けている事務総長の熱意にどう応えるのか。難しいことや大きなことはできないが、20年間の森づくりで学んできたことは発信できる。

 そのひとつは、私たちは森に寄り添って生きているという現実を体感することから始まると思う。例えば、「植物は光に向かって動き、植物は生涯に渡りずっと生長し続け、変化していく周囲の環境と調和し、途方もない形態をつくる。また、体内組織の水分を調整することによって体の堅さを変え、言語なしでもコミュニケーションが可能だ。その方法は化学物質を放出したり、他の生物(細菌、菌類、動物)と関係をも築く。地中では化学物質を放出して樹々の防衛機構を作動させる。菌糸と根は養分と糖分を分かち合っている」という研究結果を、森を散歩しながら体感してみることができる。

 ちなみに、樹々のパワーのひとつに人体の自然免疫力を高められることも研究済みである。森林浴の効果のひとつに、ナチュラルキラー細胞によって体内のウイルス等を退治する機能が高まるという。

参考資料:『ロボット学者、植物に学ぶ』著者バルバラ・マッツォライ、白揚社

(森びとアドバイザー・高橋佳夫)

2024年6月 1日 (土)

能登半島地震の現場を視察して

 5月11日、12日に石川県を訪問し、能登半島地震の現場を視察した。Image3 珠洲市をはじめ被災したほぼすべての市町を元県会議員北野進さんの案内で視察させていただいた。珠洲市までに行くまでに道路が各所で崩落し、片側通行を余儀なくされていた。地震、津波被害の凄まじさを目の当たりにした。地震で隆起した港、珠洲原発予定地を視察した感想として、珠洲原発を作らせないために長年に渡り多くの住民が原発建設反対の運動を粘り強く展開し原発建設断念させたことに感銘すると共に地震で隆起した原発予定地を見て原発が建設されなかったことが、能登半島全体を始め、周辺の放射能汚染を防ぐことにつながったと確信した。

Image2_1 志賀原発を視察では、サイト内の地震で被災した箇所の多いこと、原発建屋が道路のすぐそばであるのに驚いた。視察して、原発に頼らないエネルギー政策の必要性を再認識した。

(運営委員会代表・櫻井勝延)

2024年5月15日 (水)

草の根運動の先駆者から学ぶ

 森びとでは、4月6日に一般社団法人日本鉄道福祉事業協会との共催で「原発回帰と気候変動に向き合う生活を考える」意見交換会を開催しました。メインは科学ジャーナリストの倉澤治雄さんから原発総体を考える問題提起をいただくともに、今年1月1日に発生した能登半島地震で被災にあわれた塚本真如さんにビデオメッセージを受けて意見交換することでした。塚本さんのことで言えば、2月の新聞記事で1975年に珠洲市で原発建設計画が持ち上がり、2003年に建設の中止するまでの28年間の闘いを指導してこられ、今回の地震を受けて、見知らぬ人から当時の(珠洲市での)原発建設反対の闘いに感謝するメッセージが寄せられたことが掲載されていました。新聞社を通じて塚本さんを紹介していただき、話を聞くことができる機会をえました。

1715775786656 塚本さんは1月12日まで道路や携帯の電波が遮断されていた中におり、もし停止中の志賀原発が稼働していたら、海に逃げなくてはならなかったということだったのかもしれません。印象的な言葉として「日本人は(原発事故を)すぐに忘れてしまう。他人事」「はっきりとNOを言わない人が多い」「子や孫の世代に胸を張れる生き方をしなければならない」と言っていました。意見交換会での倉澤さんの写真で塚本さんの取材をされた様子が掲載されていました。3.11から13年が経ち、政府は原発を稼働させようと躍起になっています。この間の歴史を見ると、嫌らしいことに経済的に厳しい自治体の弱みに付け込んで原発の建設や核のゴミの受け入れを認めさせるやり方がまかり通っています。

 政治家や行政への批判は最もですが、同時に市民である私たちが自分たちの場でのいのちと生活を守るための運動づくりが大切であることを塚本さんたちの闘いで学ぶことができました。来月になってしまいますが、珠洲市や志賀町を訪れ、私たちに何ができるのだろうか掴んで発信したいと思います。

 最後に紹介したい本があります。桂書房さんから発刊されている『ためされた地方自治』です。是非、ご一読下さい。(運営委員・小林敬)

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2024年5月 7日 (火)

”つながり”から過去や未来をみつめる大切さ

20240507 「みちくさ」での出会いと森づくりで教えられたことは、人は森に寄り添っていかなければ生きていけないということ。「みちくさ」の建物は1902年に廃村になってしまった松木村跡地にある。銅の精錬過程で排出された煙害で農作物を育てられなくなった村びと。唯一、現金収入源であった桑の木も枯れ、養蚕が成り立たなかった。台風や大雨が降るとハゲ山から一気に雨水が松木川に流れ、洪水被害とともに下流の渡良瀬川流域の農民の生業も奪い、流域民の健康被害を強いた。来年は足尾の銅の精錬150年だが、森と人との“つながり”を衰弱させた傷跡は今でも消えることはない。20240507_2 自然界と人間との“つながり”から人間活動の歴史を振り返ると、人間が生きていくうえで超えてはならないガードラインがあるように思う。「地球環境の三重危機」(『毎日新聞』5/4社説)と向き合わなければならない私たちにとっては、エコシステムが健全に機能し、バランスがとれる範囲内の人間活動ということを基底にすえることではないかと思う。20240507_3 (森びとアドバイザー・高橋佳夫)

2024年5月 6日 (月)

自然界と人との”つながり”を健全にしたい生活を求めて

20240506 自然界と人との“つながり”、人と人との“つながり”が様々な出会いによって身心に蓄積されるとそれは生活の糧となり、人間社会や自然界と向き合う視点が拡がり、やがてそれは森に寄り添う人の知恵になっている。「みちくさ」での出会いや足尾の森づくりではその体験ができとても嬉しく思う。20240506_2    2011年の「みちくさ」

 足尾松木沢では様々な原因で鹿の死骸が見つかる。悪臭がするので人は穴を掘って死骸を埋めるが、翌日にはその穴は掘り起こされ、死骸は動かされている。この地にはツキノワグマやキツネが棲息している。鹿の死骸は肉食動物の栄養源。食べ残された部位の骨や皮は土壌分解動物たちが分解し、土へ還元してくれる。少しの間、人は我慢すればよい。20240506_3 煙害後の松木村跡の荒廃地に植えられた苗木にとっては土が改良されると有難い。元気に生長する樹々は二酸化炭素を吸収して酸素を排出してくれる。若葉は虫たちの餌にもなり、森は野鳥の子育てや寝床になる。人は、若葉の輝きや野鳥の囀りに心が癒される。20240506_420240506_5 私たちの森作業はこの“つながり”を衰弱させないように、壊さないように心掛けている。森の手入れ方法をめぐっては真剣に話し合う。スタッフを気づかいながら、優しくも厳しい意見を出し合ってきた。森びとスタッフ間の“つながり”も大切に堅持している。文献で知り得たことを体験できることは素晴らしい。(森びとアドバイザー・高橋佳夫)