台風10号の恐ろしさから改めて心に誓う
台風10号は衰えを見せてきましたが、その猛威は驚くほどでした。中心気圧が935hPaまで発達し、瞬間風速70㍍、台風の動きは遅く、広範囲に記録的な大雨を降らせながら土砂災害や河川の氾濫など被害を各地に巻き起こしています。私は、想定外を超える”スーパー台風”に直面し、恐怖感を感じています。離れて暮らす子や孫を心配すると同時に、台風の進路上に生活している方々の様子をTVで観ていると、今後もこのような異常気象が襲ってくるのではないかと不安になっています。
少しでもこの不安を無くしたいと思い始めたのが足尾の荒廃地での森づくりです。台風10号の猛威から息子や孫たちの社会を考えると、気候危機に向かっていく「社会運動」を創りださなければならないと思いました。
今から130年程前の足尾松木沢は、豊かな森の恵みに支えられて松木村の村人は生活していました。ところが傲慢な人間の経済活動が山を荒らし、川を荒らし、村人の生活を奪いました。その村人と渡良瀬川流域の農民を鉱毒から守るために闘ったのが田中正造ですが、「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」ということを改めて振り返りました。そこから気づいたことは、“山を荒らさず・・・”の背後にある彼の考え方には、“人は森に生かされている!人は森に寄り添っていかなければ生きていけない!森は大切な友だち!”ということがあったのではないかということでした。さらには、官憲に弾圧され続けながらも農民たちと闘ってきた運動の大切さと、そのリーダーの志と情熱を現代社会の社会運動に活かしていくことではないかと思いました。
農民と田中正造の闘いは、政府や議会の「治水論へのすりかえ」や官憲の弾圧で追い込まれてしまったので、広く社会の人々に訴えることを決意した田中正造は命を賭して明治天皇に直訴(1901年12月10日)しました。
かつての松木村民や渡良瀬川流域農民の思いに寄り添いながら、足尾のふるさとの木を植えて来年で20年を迎えます。多くのボランティアの皆さんと共に約8万本の木を植えて、小さな森が育っています。いま私たちがやらなければならないことは、台風10号からの警告をうけて、「いのちの母体である地球(森)を破壊する自由はない」、「森は大切な友だち」、「森に寄り添って生きていくためにはエコシステムのサイクルを健全に戻す」という立場を鮮明にした社会運動の実現ではないかと思います。
(運営委委員:大野昭彦)
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