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2023年5月14日 (日)

“森びと”の心に木を植えてくれた青木淳一先生

 Photo  今日は青木淳一先生の「お別れ会」に出席してきました。お別れ会の世話人代表は森びとプロジェクトアドバイザーの島野智之さん(法政大教授)が努め、会には北海道から沖縄の皆さんが集っていました。同席した中村幸人さん(森びとアドバイザー)と私は青木先生が歩んでこられたダニの研究とその情熱を心に刻むことができました。最後に、生前の青木先生から仲間たちに伝えて欲しいことを奥様から紹介されました。

Photo_2  以下、『青木淳一先生追悼文集』に投稿した私の感謝の気持ちを紹介させていただきます。

Photo_4 青木淳一先生! 森の下に「もうひとつ」の森があることを教えてくださってありがとうございました。その「もうひとつ」の森には肉眼では見えづらい生きものたちが、上の森の生物に欠かせない生存土台をつくっていました。この様な現実に支えられて生きている己ということを考えたことがなかった私からすれば、先生にお会いした時は目から鱗であり、リタイヤ後の限られた人生を歩む世界を拡げてくれました。とても嬉しく思っています。

 それまでの私は労働組合運動を通して様々な社会悪と対峙していた時期がありました。その当時は、己が生存している冷厳な現実を深掘りするということは頭の片隅にもありませんでした。振り返ってみれば、社会運動を推進していく場合においても、生活現場や労働現場に起きている事象に向き合うにしても、私たちが生存していることと社会システムの関連に向き合っていかなければならないと思っています。当時の右肩上がりの経済成長期では、木を伐り、山を削り、コンクリートで工場や高速道路、そして鉄筋住宅を造り、そのための燃料は化石燃料を燃やして大量生産・大量消費・大量廃棄の社会をつくりだしました。それは、自然環境への多大な負荷のかけ過ぎを招き、新型コロナ感染と気候変動による「複合災害」の社会を迎えてしまうのではないかという不安は微塵もありませんでした。

 3年前から世界の人々が初体験している新型コロナ感染と気候変動による「複合災害」禍に生きている私にとって、青木先生との出会いは、私の将来世代の人間社会を描き実現していく“希望の灯”の基礎になり、この灯は消さないようにしていきます。

 青木先生は、「人類にとって大切なことは、生態系の中で生産者の主役を務めている樹木にまず敬意を表し、普段は地面の下にいて目に触れない分解者の働きに思いを馳せ、自分たちはこの両者に生かされている消費者であることを自覚することである。消費者の中では例外的に強い力を持ってしまった人類は、生産者である森を破壊することもできるようになってしまったが、同時にまた、森を守り、創造する力をも与えられているのである。」と述べていました。このことは、人間社会の礎に据えなければならないと思っています。

 これからの社会を生きるために、私の心の中には「自然の恵みはほどほどに消費する」、「天然資源は独占・支配してはならない」、「人は森の手入れをする責務がある」というスローガンを掲げることができました。衷心から感謝申し上げます。 

 先生は、デパート屋上のコンクリートの割れ目、赤坂の森、明治神宮の森、石垣島の森、会津の森、そして栃木県日光市の足尾銅山跡の荒廃地と岩手県八幡平市の松尾鉱山跡地の荒廃地に立ち、枯葉や土を新聞紙に包み、段ボール箱に入れ、それを自宅に運び、時間をかけて生きものたちを観察してくれました。その過程では、先生は私たちを自宅に招いてくださり、観察とその整理の様子を私たちに見せてくれました。ときには、何十年間もの観察資料の原本を見せていただきましたが、そのひとつひとつ、一枚一枚が先生の人生そのものではないかと感じました。

 森の下の森の友だちはダニ、ミミズ、ワラジムシ等の地中の生きものでした。しかし、多くの方々はその生きものを敬遠し、肉眼では見えづらいこともあって、先生の言う「普段は地面の下にいて目に触れない分解者の働きに思いを馳せ、自分たちはこの両者に生かされている消費者であることを自覚する」ことはとても難しいことであると思います。

 そんなこともあって先生は、顕微鏡や虫メガネで観たササラダニを精密に拡大描写するという根気のいる観察調査を生涯の仕事にしていたのではないかと思っています。大きく描写されたササラダニたちのスケッチを見せていただくと、なんとなくスケッチにホッとしますので不思議なものです。森の下の森の友だちを大切にしてほしいと願っていた先生の繊細な一本一本の線には、そのような思いが通っているようでした。また、先生は、森の妖精が大好きでした。足尾では、子供たちと森を歩きながら森には妖精がいることを話してくれました。奥日光の森で会った妖精の話をした後、子供たちが妖精を描いている様子を見ている先生の笑顔が忘れられません。

旅立たれた今、私は、天空の森で妖精にお会いしてる青木先生を思い浮かべています。先生!天空の森で私たちの森づくり活動を見守っていてください。

 今年、足尾銅山が閉山して50年目を迎えました。2年後の2025年は、足尾銅山の操業150年迎えます。煙害や山火事でハゲ山になった荒廃地は国や県が本格的に始めた治山・緑化事業から半世紀が経ちました。しかし、足尾ダムから松木川上流に向かって3時間ほど歩いていくと、岩肌がむき出しになっている山が連なっています。この地に雷雨が襲うと、1時間も経たないうちに松木川の水は赤茶色に変わり、その勢いはしり込みするほどの恐ろしさを感じます。

 この地は、強い力を持ってしまった消費者である人間の公害の原点(「足尾銅山の負の遺産」)と言われていますが、後世に遺すことは「負の遺産」だけではなく、「生産者である森を破壊することもできるようになってしまったが、同時にまた、森を守り、創造する力をも与えられているのである」という意味と実践を、将来世代に遺していくことだと思っています。 

青木淳一先生!“森びと”の心に木を植えていただきありがとうございました。天空の森では、先立たれた岸井成格さんをはじめとした森びとの皆さんとゆっくりとお休みください。合掌Photo_5

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