ほうっておく森があってもいい
私たちが植樹を指導して頂いた宮脇昭先生の「木を植えて基本的に3年後には手入れ不要」という言葉が気に入っている。最初にその話を聞いた時は、人はどうしたらその森と付き合えるのかが理解できなかったけれど、それは森を利用するという側面でしか対象を見ていなかったからだろう。
その後にいろいろな森を見て、放置することの難しさを知った。宮脇先生が指導して作った森の場合に限っても、結局3年後(またはそのあと)に手を入れているところがそこそこあるように思う(本当に必要な場合もあるけれど)。
特定の生態系を守る重要性や、ある種の人の管理する森が大切だということは理解はしているつもりだし、人工林(経済林)の話をしているわけではないことは断っておく。
ただ、森を管理する、という名目で、ガソリンを使って木を伐って枝を落とし木を弱らせ、ガソリンを使って草を刈りゴミに出し、はたまたガソリンを使って葉っぱを吹き飛ばしていたりさえするのは本当に意味があることなのだろうか。
森が暗いから、木が細いから、健全じゃないから(健全って何?)、人が近づくと危ないから、このままじゃ役に立たないから云々。いろいろ理由はあるけれど、たいていは無駄に伐る方向に圧が働くのが常な気がしている。自然は放置しておけばその中で持続的なエコシステムを作るということは誰でも知っていることなのに。
そろそろ人間さまの価値基準の範疇から離れた「放置した森」をもう少し見直した方が良いのではないか。奥山においては当然だけれど、これからは都市部においても実はそうした森が特に重要になっていくと、私はひそかに思うのである。(運営委員 小黒)