明日は、足尾銅山が閉山して50年
明日(2/24)、足尾銅山が閉山して半世紀を迎える。当時の銅山労働者や生活が潤っていた企業城下町の町民にとっては様々な想い出があると思う。私にとっては、1990年後半から始めた足尾の歴史を学ぶ研修から現在も続けている足尾の森づくりを数えると、足尾町にお世話になって30年ほどが経つ。 足尾町での想い出は語りつくせないが、私は、よく言われている負の遺産をそれとして遺すだけではなく、未来を生きる私たちの財産に遺していくことを大切にしている。 東京都から九州地方まであると言われている長い坑道に滲みこむ水はそのまま渡良瀬川に流せない。現在も、古河機械金属㈱がその水を中和させている。水は私たちに欠かせない大切な自然の恵み。反面、大雨は濁流となって、人や家、木々や農作物を流して生活を脅かした。自然界の恵みに感謝する気持ちを忘れて亜硫酸ガスを排出してきた歴史は、命を守る循環システムの母体である森をハゲ山にした。 重金属が多く含んだ荒廃地を、人が手入れをすると、全ての生き物の命を守る草木が育ち、その恵みを吸収する生きもたちの社会が築かれる。何もしないと、半世紀以上経ってもヘビノネコザ等しか生えない。
生活が潤っていたと言われている足尾町民の陰には、鉱山労働者の健康と生活を守る戦い、銅山の操業停止を求めた農民の闘い、さらには戦争政策の犠牲になった中国人や朝鮮人の苦痛の叫びがあり、その背後には富国強兵をすすめた政治家と一部経済人がいた歴史を忘れてはならない。(顧問 高橋佳夫)
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