気候危機と向き合う心得と備え
アブラゼミの鳴き声が蒸し暑く感じる日が来ないうちに奥山には暦の上の秋が来た。マイナス30度の寒気が南下(8/7)しているという影響なのか、奥山の森に吹く風は肌寒い。 TVや新聞報道を観ていると、びしょ濡れになった身体の汗を拭きながら土砂を片付けている大雨被害(7/3~4)に遭った地域の方々。その表情には路頭に迷っている気持ちは表れていないが、その気持ちをどこの誰に向けたらよいのかという様子が窺えた。 記録的大雨によって鉄橋は崩落し、路盤の土砂は流出してレールが宙吊り、復旧の見通しはないという。生活道路も寸断され、家の畳は泥だらけで旧盆どころではない。地方の豪雨災害では鉄道の存続危機にも発展しかねない。経営者の判断によっては利用者と鉄道員が路頭に迷うことにもなる。 足尾・「みちくさ」
最上川流域の一部住民は二度目の大雨被害に遭った。現場は2年経っても大雨対策工事が実施されていなかった。蛇行している川の景観を遺したい、川魚が獲れる流域に住んでいたい等の流域住民の気持ちが二度目の被害に関連しているらしい。命よりも地域経済や川のおもしろみが大事にされたように思う。このTVニュースを聴いて、私は、命があっての経済であり、その命を守る母体は森であることを見失ってはいけないと思った。 自然災害だから仕方がない、という気象現象ではない。命を守っているエコシステムを衰弱させて、大量生産・大量消費・大量廃棄の生活を継続している人間社会の生存を不安定にさせている現象だ。命を守っているエコシステムの母体(大地の森と海の森)が衰弱すると、そのシステムは直には元に戻らない。90億人がこの地球上で生存できる心得はその母体に負荷をかけない消費生活と平和で差別・貧困のない安心な社会に向けた私たちの社会運動である。(顧問 高橋佳夫)
コメント